鈴焼
小学生のころ、松坂の鈴屋(すずのや)というところに行きました。
松坂城址のふもと、本居宣長が、国学を学んだという旧宅の屋号です。
宣長は、夜更け、眠さをおして学問に励み、どうしても睡魔に負けそうになると、鈴の音を聞いて、頭をすっきりさせたと言います。
鈴の音は、頭だけではなく、心にも響くものであったのでしょう。
熊野の速玉大社には、「速玉鈴」という特別な鈴があると言います。
社に吊るされたその鈴は、振るとリンと涼しく清らかな音がして、思わず見上げると言います。
リンという音は、やはり凛という字が相応しいのかもしれません。
鈴は、払い清める力があると言うそうですから、宣長の鈴も、速玉さんの鈴も、やはり神々しい何かを感じずにはいられません。
わたしの父のそのまた父、つまりわたしの祖父は、今で言うところのJR、旧国鉄の鉄道技師でした。
祖父は、今の津高の前身である津中を主席で卒業し、国鉄に就職をしたと言います。
まわりは、日本中から集まった精鋭で、その中で「三重の田舎ものが」と、随分辛い思いもしたといいます。
物静かな、祖父の顔を思い浮かべると、もうとうの昔に、虹の橋を渡った祖父のことだというのに、いまでも、胸が切なくなります。
鉄道技師という仕事ですから、文字通り、鉄道を敷くのがお仕事です。
設計図を引き、監督をして、鉄道が出来上がると、次の場所に移ります。
三重の熊野と、和歌山の新宮をつなぐ場所にも、祖父は鉄道を敷きに行きました。
その間、父も家族と共に、新宮の官舎に住まったと言います。
「この鉄橋には、金のプレートがあって、そこにおじいちゃんの名前が刻まれているよ」
よく父が、わたしに話していました。父にとって、早く亡くなったとはいえ、祖父は自慢の人だったのでしょう。
家族といて、素晴らしいことと、いまも大切にしたい父の言葉です。
先日、新宮からいらした患者様が、「鈴焼」というお菓子を、手土産に下さいました。
素朴な原料で焼かれたお菓子は、とても優しく美味しいお味でした。
何より、「チリン」と、音のしそうなお菓子は、見た目も微笑ましいほど可愛いものでした。
おじいちゃんと、お父さん、このお菓子、食べたかしら?
そう思ったりして、またお電話して、お取り寄せしたわたしです(笑)
「お盆のお休みが明けたら、焼いてお送りします。」と、お店の奥さん。
届くのが、とても楽しみです(笑)