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純文学のすすめ
などと書くと、まるでちょっとした文学者のようですね。
そんな、偉そうなものではありませんけれど(笑)
最近、暑さで朝早く目が覚めます。空気は朝の靄に包まれたような不思議な色があるように思います。
窓を開けると、蜩が鳴いています。夏鳥のさえずりも様々聞こえ、ちょっと得をした気分になるのです。
先日、娘が大学の講義で、夏目漱石を学んでいました。
漱石の「こころ」は、わたしも学生のころに読みましたが、大変難しいものです。
先生の死と、それを引きずるわたし。
物語は、とうとうと流れる川のようで、またとても神聖でもあります。そこには、漱石の仏教感も表れていると言います。
「ああもう当分、漱石はいいわ。」と言う、娘の言葉に笑いました。
また、「ようもまあ、こんなんばっかり読んだなぁ。ママたちの若いころ」
と、そんな言葉もあったけれど、でも考えたら、私たちの中学生のころは、そんな本しか無かったような気がします。
路傍の石や、足摺岬、久米正雄の学生時代。
確かに重かったけれど、思い分だけ「死」というものや「生きる」ということが、とても大切に、神聖に扱われていた気がします。
わたしと同じ年代の方なら、わたしたちの学生や子供のころは、「死ぬ」という言葉は、あだやおろそかに口にはしなかったわ。と思われるでしょう?
今や、平気で映画やゲームや小説で「死」や「殺人」と言う言葉が、扱われるようになりました。
軽んじられる分だけ、子供たちは自らの命を、顧みなくなってしまう。
これは、私たち大人のせいでもあり、メディアや小説家のせいでもあります。
もう一度、あのころに戻るのは難しいけれど、あえてよく判らず、それでも重厚な文学を、子供たちに与え、
昔のように、「道徳」の時間に、命の尊さを切々と訴える時間が欲しいものと、そんな風に考えました。