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母親だからこそ
2013.03.11
娘が小学校の1年生の時、喘息の発作をおこしました。
何となく、虫が知らせたのか、小児病院に救急で走り、そのまま入院になりました。
小さかった娘は、大発作のYちゃんとあだ名が付いたようで、
翌朝、回診にいらした担当医の先生に「君が大発作のYちゃんか」と言われました。
あとになって、「あのときあと1時間遅かったら・・・」とお聞きして、足が震えたのを覚えています。
娘の喘息の原因は犬と猫で、病院の二階と言う奇異な環境は、犬猫の血液あり、尿あり、毛ありという環境でしたので、彼女の体に「もう無理」と、ギブアップの状態を齎しました。
入院はほぼ1ヶ月。
担当ドクターは、
「住居を別にすること。ご主人と別居か、この病院に併設の学校で寄宿生活を」と仰いました。
悩んだ末に、病院と住居を別にすることを選択しました。
当時私が思い、ドクターにお話ししたことは、
「学校の先生の代わりはあっても、私という母親のかわりはありません」ということ。
主人は今もそうだけれど、重篤な患者さんがあれば、帰宅が困難で、当時はまさに週末婚。
「パパまた来てね〜」という、子供たちのおおきな声に、「我が家って、ご別宅と思われとるんちゃう??」と、主人と二人で笑いました。
今日は、震災から二年目の日。
つい先ほど、黙祷をしました。
いまもまだ、郷里に帰れず、慣れ親しんだ地以外のところで子供たちと暮らす母親も多いのだろうなと考えます。
それでも、子供の為に、放射能の恐怖から逃れた地で生活しようと思うのも、母親だからの思い。
そして、どんな場所で暮らしても、お母さんが一緒なら、それが子供には何よりの場所のはず。
どうか、頑張って幸せに暮らして欲しいと思うのです。
そして、大きな波に母親や父親や、子供や家族を奪われたかたは、それこそ片腕をもがれたよりも、心をえぐられたように傷は深いでしょう。
津波の傷跡だけでも残酷なのに、原発の傷跡は更に深い。
私は、子を持つ母として、二年前の今日の日を忘れません。・・・合掌・・・