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久しぶりにエネルギーのいるおはなし
2013.08.12
先日書いたのは、7月の23日。
ずいぶん時間が過ぎてしまいました。
軽い楽しいお話をここに書くのは、あっという間でも、
頭の中でずっとじっと考えていることを書くことは、とてもエネルギーが必要で、力のいることです。
たとえば、先日の長崎の原爆投下を鎮魂する日、記念式典。
八月がくるたびにというタイトルの本を、小学生の時、課題図書として読みました。
あまりの衝撃に、幼かったこころをどう捻って考えたら良いのかわからなくて、
それでもそのタイトルは、私が八月に傷ついた広島と長崎の人々の心と体を忘れないための、
ひとつのキャッチコピーのようなものとしてずっと心に刻んできたものでもあります。
「八月がくるたびに」わたしたち日本人は、考えなければいけません。
たとえ、私を含め、多くの人々が、実際に原爆を体験していなくとも。
世界で唯一の被爆国のひとりとして、決して「核を許してはいけない」と、心に刻まなければいけません。
長崎の慰霊祭の日、手向けられた多くの千羽鶴と清い噴水の水の前で、長崎市長は、被爆国として、原子力に断固反対する(※)と仰いました。
また、日本が核不拡散条約に署名しなかったことを、批判されました。
わたしも、ひとりの日本人として、市長のお言葉に深く強く賛同いたしました。
いったい、いつからこの国は、不穏な空気を持つ国になったのでしょう。
いったい、どんな顔をして、そのしらっとしたお顔の裏には、何をお考えになられて、参列されているのかと、
安部総理の真意を思うと、ちょっとぞっとするものもありました。
先日、前を走る自衛隊の車の後ろの荷台に、たくさんの隊員の方々が乗っていらっしゃいました。
日中の気温が38度を超えそうな中で、クーラー無しの車内は暑いだろうなと、
助手席から手を振りながら思いました。
笑顔で、手を振り返す方々を、戦地に送ることは、阿部さんにとっては他愛もないことでも、
一人の息子の母ならば、それは身を切られる思いです。
愛する夫の妻ならば、泣き叫びたい思いでしょう。
なぜ、平和憲法として、世界に先駆け、世界に先立ち、戦争反対!と、唱えることが間違いなのでしょうか。
アメリカの子供たちも、イギリスの子供たちも、オーストラリアの子供たちも、
どのアジアの国々の子供たちも、会って話せば本当に可愛い子供たちです。
それなのに、戦争は人々を狂気と脅威に陥れてゆきます。
日本人が、一歩進んだ国民として、戦争のない世界を目指そうというサインをなぜ今までの通りに、世界に発信することがいけないのでしょう。
母親は、子供を守るためには、たとえ理想と言われようとも、そこに向かって、一歩ずつ歩んでゆく強さがあります。
世界中の子供たちの為にも、
ノーモアヒロシマ
ノーモアナガサキ
ノーモアウォー
ノーモアヒバクシャ
そして、いま付け加えたいのは、 ノーモアフクシマです。
※長崎 平和宣言
68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。
熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。
人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。
生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。
広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。
核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。
人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。
日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。
南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。
これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。
NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。
核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。
今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。
被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。
オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。
「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取りみ、世界との約束を果たすべきです。
核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。
かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。
68年前、原子雲の下で何があったのか。
なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。
被爆者の声に耳を傾けてみてください。
そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。
考えてみてください。
互いに話し合ってみてください。
あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。
わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。
非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。
宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。
皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。
市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。
多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。
長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。
被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。
高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。
2013年(平成25年)8月9日 長崎市長 田上 富久
ずいぶん時間が過ぎてしまいました。
軽い楽しいお話をここに書くのは、あっという間でも、
頭の中でずっとじっと考えていることを書くことは、とてもエネルギーが必要で、力のいることです。
たとえば、先日の長崎の原爆投下を鎮魂する日、記念式典。
八月がくるたびにというタイトルの本を、小学生の時、課題図書として読みました。
あまりの衝撃に、幼かったこころをどう捻って考えたら良いのかわからなくて、
それでもそのタイトルは、私が八月に傷ついた広島と長崎の人々の心と体を忘れないための、
ひとつのキャッチコピーのようなものとしてずっと心に刻んできたものでもあります。
「八月がくるたびに」わたしたち日本人は、考えなければいけません。
たとえ、私を含め、多くの人々が、実際に原爆を体験していなくとも。
世界で唯一の被爆国のひとりとして、決して「核を許してはいけない」と、心に刻まなければいけません。
長崎の慰霊祭の日、手向けられた多くの千羽鶴と清い噴水の水の前で、長崎市長は、被爆国として、原子力に断固反対する(※)と仰いました。
また、日本が核不拡散条約に署名しなかったことを、批判されました。
わたしも、ひとりの日本人として、市長のお言葉に深く強く賛同いたしました。
いったい、いつからこの国は、不穏な空気を持つ国になったのでしょう。
いったい、どんな顔をして、そのしらっとしたお顔の裏には、何をお考えになられて、参列されているのかと、
安部総理の真意を思うと、ちょっとぞっとするものもありました。
先日、前を走る自衛隊の車の後ろの荷台に、たくさんの隊員の方々が乗っていらっしゃいました。
日中の気温が38度を超えそうな中で、クーラー無しの車内は暑いだろうなと、
助手席から手を振りながら思いました。
笑顔で、手を振り返す方々を、戦地に送ることは、阿部さんにとっては他愛もないことでも、
一人の息子の母ならば、それは身を切られる思いです。
愛する夫の妻ならば、泣き叫びたい思いでしょう。
なぜ、平和憲法として、世界に先駆け、世界に先立ち、戦争反対!と、唱えることが間違いなのでしょうか。
アメリカの子供たちも、イギリスの子供たちも、オーストラリアの子供たちも、
どのアジアの国々の子供たちも、会って話せば本当に可愛い子供たちです。
それなのに、戦争は人々を狂気と脅威に陥れてゆきます。
日本人が、一歩進んだ国民として、戦争のない世界を目指そうというサインをなぜ今までの通りに、世界に発信することがいけないのでしょう。
母親は、子供を守るためには、たとえ理想と言われようとも、そこに向かって、一歩ずつ歩んでゆく強さがあります。
世界中の子供たちの為にも、
ノーモアヒロシマ
ノーモアナガサキ
ノーモアウォー
ノーモアヒバクシャ
そして、いま付け加えたいのは、 ノーモアフクシマです。
※長崎 平和宣言
68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。
熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。
人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。
生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。
広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。
核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。
人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。
日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。
南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。
これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。
NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。
核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。
今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。
被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。
オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。
「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取りみ、世界との約束を果たすべきです。
核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。
かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。
68年前、原子雲の下で何があったのか。
なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。
被爆者の声に耳を傾けてみてください。
そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。
考えてみてください。
互いに話し合ってみてください。
あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。
わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。
非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。
宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。
皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。
市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。
多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。
長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。
被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。
高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。
2013年(平成25年)8月9日 長崎市長 田上 富久